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2013年11月29日

日本代表キャプテンの原点

現在発売中の12月号から『あのころを語ろう』第6回を一部公開します。
今回登場してもらったのはソニーセミコンダクタの高橋恵選手。リオデジャネイロ・オリンピックをめざす日本代表のキャプテンでもあります。そのプレーの原点はどこにあるのでしょうか。
【本誌12月号P68『あのころを語ろう』より】
今、日本のトップレベルで活躍する選手たちも、ハンドボールを始めたばかりの時は失敗したり、うまくいかないこともあったはず。このレベルに達するまで、どんな練習をし、なにを考え、プレーしていたのだろうか。今回は、12月6日からセルビアでの世界女子選手権を控える日本女子代表キャプテンの髙橋恵選手が語る「あのころ」。
「相手とのやり取り、駆け引きが私のベースになっている」
私のプレーの原点は中学時代にあります。鹿骨中(東京)でハンドボールを始めて、その時の監督は武末潤先生(現・深川二中)でした。先生の指導は、相手とのやり取りや駆け引きがベースになっています。
今、自分の相手はサボっているだけなのか、本当に疲れているのか、パスフェイクした時に、相手はどんなタイミングでその方向を向くのか。先生はそういう間合いやタイミングをとても大切にしていました。
セットOFの時もしっかりと2対2から狙うとか、速攻も3対2をきちんと作るということを意識していました。中学生時代に教わったこういうベースが今に活きているんです。
普段の練習でも、男子といっしょに練習していたので、私たち女子部員にとっては、それがすごくよかったなって思います。
1年生の時の男子の3年生なんてすごく上手で、「あの人がうまいのはなんでなんだろう」って考えながら練習できるお手本がたくさんいましたから。そういうプレーを見て盗んだりして。
そんな中で、チームが私たちの代になった最初の試合で、武末先生に「全国優勝しよう」と言われて。そもそも全国大会自体に出たこともないので、全国優勝がどんなものかもわからないんですけど、優勝を経験している先生がそう言っているならできるんだろうという感じになりました。
それで勝つようになってきて、ようやく楽しいなって思えるようになってきたかな。自信もついてきて。
3年の夏に全中(全国中学校大会)に出た時には、勝てない相手なんていないと思っていたんですけど、決勝で仲西中(沖縄)にボロ負け(18-29)したんですよね。
当時の仲西中には、今、ソニーでチームメートの儀間(晴香)がいました。忘れもしないです。いまだに2人でその話をするぐらいです。
樋口真央さんとの出会い
高校は全国優勝できる学校に行きたいと思って、前の年に日本一になっていた桜花学園高(愛知)に進みました。
東京から愛知に行くことに対しては、不安はなかったですよ。しんどいことはあるだろうけど、自分で決めたことですし。それに、自分で言った以上、弱音は吐けなかったです。
もし鹿骨中で全中優勝していたら、桜花学園高には行かなかったかもしれません。それぐらい決勝で負けたのが悔しかった。
高校時代は本当に3年間ハンドボール漬けでした。携帯電話も禁止だったし、ほとんど休みがなかったので、筑波大に進んだあと、週1でオフがあることにビックリしたぐらいです。
ここで当時3年生の樋口真央さん(元ソニー、北國銀行、引退)に出会ったのは大きかったです。自分の意見をきちんと言うし、オンとオフの切り替えもきっちりしている。
「この人についていけば大丈夫」と思わせてくれる魅力がある人でした。
【つねに全国優勝を狙えるチームで戦ってきた高橋選手。大学もその流れをくんで筑波大へと進みました。そこで感じ、学んだ、今になってわかる大切なこととは。続きは12月号で!】

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カテゴリー: 日本代表
▶コメント » 2

2 Responses to “日本代表キャプテンの原点”

  1. オカピ Says:

    元、担任でした。まだ存命でしょうか?

  2. 編集部 Says:

    オカピ さん
    武末先生のことでしょうか?まだ先生をされていますよ。

コメント