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2020年1月22日

日本代表GK岩下祐太が語る「あのころ」を一部先行公開!

現在、クウェートで開催中の第19回アジア男子選手権において、日本の守護神として活躍しているトヨタ紡織九州の岩下裕太選手が、1月24日発売の『スポーツイベント・ハンドボール』2月号「あのころを語ろう」に登場しています。その一部を先行公開します。

僕は熊本県苓北町の出身で、そこはまあ田舎なんです。進む中学校は都呂々中というんですが、当時は部活動といえばハンドボール部と卓球部しかない。

だから、中学ではハンドボールをやるだろうから、それなら小学生の間に始めておこうと思い、苓北クラブというチームでハンドボールをすることにしました。

始めたのは小学4年生。身長は160 cmちょっとだったと思います。最初はサイドプレーヤーだったんですよ。1年ぐらいやったところで、1才上のGKの先輩が「来年はCPをやりたい」と。それでGKがいなくなり、どうするかとなっているところで手をあげました。

どうして手をあげたかといえば、走らなくていいからサボれそう、楽そうだと思ったからです(笑)。それ以来ずっとGKです。

GKを実際にやってみると、たしかに楽は楽なんですよね。なにせ試合中にそんなに走らなくていいから。でも、ミスが失点に直結するから、止められそうなシュートが止められなかったりすると、「止めてくれよ!」という雰囲気が出るので、それは苦しかったです。

中学校でCPをやりたいと言えばよかったんですけど、言い出せなかった。都呂々中は小学校のとなりにあって、先生も僕らのことを知っているんです。だから当然「 GK だよな」と。

苓北クでは大人チームのみなさんが見てくれていて、都呂々中では西浦伸一先生の指導を受けました。いや〜中学時代は結構つらかったです。先生が怖すぎて。止めないとヤバいという恐怖心から止めていたという感じです(笑)。

でも、西浦先生は GK 出身だったので、位置取りやサイドシュートの止め方など、基本的な技術を教えてもらえたことは大きかったですね。中学時代がなかったら、今もなかったなと思います。

中2でJOCジュニアオリンピックカップの選抜チームに選んでもらい、練習や試合をする中で、これまでよりも高いレベルの中でプレーする喜びを感じるようになりました。

それで、ハンドボールの強豪校に進もうと決めて、大宮泉先生(故人)というすごい指導者がいる千原台高(熊本)に進学しました。

千原台高は中学で有名だった人ばかりで、練習はめちゃくちゃ走るし、シュートのレベルも高くてビックリしましたが、先輩方はみんな優しくて。

田舎から熊本市内に出てきて、その環境の変化が本当に大変でしたけど、先輩方と同級生のおかげで結構早く「なじませてもらった」という感じでした。

「枝を張るな」と
DFに言っていた高校時代

高校にはGKのことを専門的に教えてもらえる先生はいなかったので、つねにシュートを受けながら自分で考える感じ。

今となっては笑ってしまいますが、DFに変に枝を張られると、シュートの出どころが見えないから、「枝を張らないでくれ」と言っていました。

もう本当に来たシュートを止めるだけ。だからノーマークを止めたりとビッグセーブもありますが、止めないといけないシュートを決められることもよくあって。位置取りもほぼ感覚でした。

そういう知識を得る機会がなかったので、ある意味自由でしたね。だから自分で考えたり、応用したりする力はついたのかもしれません。

高3ではキャプテンになり、最後のインターハイ前には九州大会で興南高(沖縄)に勝ったりして、かなり自信があったんですけどね。

チームの雰囲気もよかったし。でも2回戦で当たった北陸高(福井)に負けました。今、大同特殊鋼の藤江(恭輔)とかがいましたね。

大学で早大に進んだのは、小中高の先輩である藤本さん(純季、トヨタ車体、当時早大)がチームの方に話してくれていたみたいで、高2ぐらいの時から声をかけてくれていたことが一番大きかったです。

大学でも周りに恵まれて、すぐになじむことができました。また、大城章監督(当時、現・ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング監督)はすごく豊富なハンドボールの知識と理論を持っていて、 GK のこともアドバイスをいろいろもらいましたし、DFと連携して守ることも覚えました。

理論的に説明されて「それはそうだろうな」と思えたし、枝を張ってもらって守るようになって、実際に結果も出ますからね。

早大に入学したあと、チームが勝つために最も大切なことを学んだと話す岩下。それは一体なんだったのか、そして、なぜこの1~2年で日本代表に呼ばれ、定着するまでになったのか。続きは1月24日発売の『スポーツイベント・ハンドボール』2月号をぜひご覧ください。


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